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日本の離島 ISLAND


2004 佐渡島 新潟県 Sadogashima Niigata

新宿駅23時10分、ムーンライト越後は新潟へ向けて出発した。青春18切符が使用できる深夜特急。ネオンの灯は徐々に少なくなり暗がりになる。「なぜ旅に出るのか」などと自問している間に、新潟駅到着。暗がりのなかを港へ。そこから2時間30分で両津港に到着した。
港からしばらく歩くと加茂湖が広がる。両津港と海水路が繋がり淡水と海水が混じる湖では、山のような貝殻に囲まれた殻むき小屋で作業する女性熟練工の姿が見える。島で生まれ17才で嫁いで50年間、一度も島を出て暮らしたことはない。湖と共に過ごした人生だと。娘夫婦がいる京都でいつか暮らしてみたいと遠くを見ながら見事な手捌きで牡蠣を剥いていく。
以前は金が採掘された島には山並みが視界に広がる。北に大佐渡山地、南に小佐渡山地に挟まれた広大な国仲平野には田圃がひろがる。離島とは思えない光景だ。
夕方の真野港にはヒラメがあげっていた。カレイとヒラメの見分けができない僕に「佐渡の土産」と違いを教えてくれた。広大な佐渡島、見所は尽きない。

 


2011 桂島 宮城県 Katsurashima Miyagi

東日本大を襲った大震災。日ごとにあきらかになる甚大な被害状況をテレビで追うことしか出来ないもどかしさを感じていた。
関西から仙台行きの夜行バスの運行が再開され、塩竈港から浦戸諸島への航路が限定的に再開されたニュースを聞きつけ現地に向かった。
港からの航路は市営汽船が1日2往復。9時出航の船には島民、復興作業員など30名程が乗り込み出航。湾には養殖で使用する竹竿や生活用品などの漂流物が多くある。桂島の港周辺は浜からの津波が10mを越え集落の家屋のほとんどが壊滅していた。島民240名のうち200名が廃校になった小学校で避難生活を送っている。離島なので知り合いばかり。避難生活も手を取り合って過ごしている。震災3日後から自衛隊のヘリコプターが救援物資を運搬しているが、それまでは各家庭の食料とプロパンガスを集め炊き出しをした。声をかける言葉も見当たらない状況だが、同じ時代に生きるものとしてこれからも通い続け写真に記録していこうと思う。


2011 寒風沢島 宮城県 Sabusawajima Miyagi

東日本を襲った大震災より2ヶ月程経った宮城県へ。仙台市内はガスも復旧し少しずつ復興へ向けて前進している。
塩竈港より市営汽船が1日4便の災害復興臨時便を運行している。桂島から船を乗り換え寒風沢島へ。
港は地震の影響で地盤が下がり海水が流れ込んでいる。漁港の広場には自衛隊のヘリコプターが救援物資を届けている。集落は地震の揺れと津波の被害を受け瓦礫が覆っている。集落を襲った津波はあっと言う間に水かさを増し、渦を巻き家屋をかき混ぜていった。道もない状態だったが自衛隊が瓦礫をわけ、道がつくられた。集落で会った漁師は「網など漁に必要な道具を集め修復している。倉庫、漁船、海苔や牡蠣の養殖場、加工場の多くが流された。それでも漁しかできないから1日でも早く海に出かけたいんだ」と。
島の暮らしには恵みとも脅威ともなる自然がむき出しで存在する。畏怖の念を持ち日々の営みが先祖から引き継がれている。幾多の島に同じ時間が流れ、同じ時代を彼らは、僕は生きている。これからも同じ時代の島々へたずねたい。


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