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日本の離島 ISLAND


2004 式根島 東京都 Shikinejima Tokyo

東京湾竹芝桟橋22時、銅鑼の音が鳴り響き出航。
レインボーブリッジをくぐり徐々に遠くなる東京の夜景を眺めていると感傷的になる。あれこれ考えても仕方ないので2等船室に戻る。釣りオヤジ達が車座になって酒盛りしている。
翌朝、式根島到着。港から集落までの道すがら、鐘の音が聞こえる。お坊さんを先頭に礼服の参列者が続く。集落を練り歩く足音と鐘の音がお寺まで続く。「想い」にカタチがあるならきっとこういった時間のことではないかと思う。
風通しのいい軒先に秋刀魚の一夜干し。孫の乳母車は台車に段ボール箱。島の商店は生活用品がそろっていて店の主人は島のことなら何でも知っていた。「おいカメラマン、夕日を観に行くぞ」と山道を駆け足で進むと「ここからの景色が自慢なんだ」と真っ赤な太陽が海に沈んでいる。前掛けをした汗だくの主人が満足そうに海を眺めていた。


2009 三宅島 東京都 Miyakejima Tokyo

午前5時、阿古地区錆ヶ浜港に到着。
宿に荷物を置き、徐々に明るくなっていく1周32キロ三宅島の周遊道路を歩くことに。
山の緑が眩しく道の脇に花が咲いている。大久保漁港の黒い玉石はゴロゴロと波に洗われている。気の遠くなるような時間続いている光景だろう。見えないものに想いを馳せながら島の時間を楽しむ。徐々に山の木々が枯れているのが目立ってきた。
雄山の噴火で全島民避難になった2000年9月。ほとんどの島民は「すぐに家に戻れる」と思っていたそうだ。避難が解除されたのは2005年2月。火山ガスに襲われた坪田地区の朽ちた姿の街並に立つと地球上に一人生き残ったかのような不安な感覚におそわれる。
しばらく歩くとシイノ木の原生林の山々。木陰にはアシタバが群生し鳥の鳴き声が響いている。薮の中、桜の木が一本、花を満開に咲かせている。家々には洗濯物など島民の営みを感じる。島を一周。12時間は歩いただろう、心地よい疲れに包まれている。恵みにも脅威にもなるむき出しの自然を三宅島で体験した。


2004 神津島 東京都 Kozushima Tokyo

東京近郊の島々、伊豆七島へ。行き先は切符売り場で「神」の字が名前についている事が気にかかり行き先を神津島に決めた。
港のそばでデイケアのバスを待つ方が僕の持つ中判カメラを眺め「僕も同じカメラを持っているよ」と話しが盛り上がる。島で一番好きな場所が天上山の登山道から眺める海の光景。いまは、山登りができないから「おれの代わりに登ってきてくれ」と笑顔で言われた。
ツツジの花道を一時間ほど歩く。急な斜面にへばりつくように登山道を進むと、足下には名前も知らない植物が色とりどりの花を咲かせている。窪地に水がたまり空の色が写り込んでいる。白い岩と緑の木、そして赤いツツジ、青い空と美しい景観に息をのむ。伊豆の島々を造った神々が集まる神話がのこるのも納得できる光景。天の上を歩いているかのような心地よさ。視界に広がる海と伊豆の島々。気の遠くなるような時間をかけて、自然が創り出した光景に身を委ねることで自分も、その自然の一部であることを感じることができた。


2005 御蔵島 東京都 Mikurajima Tokyo

東京から南へ200キロ。港湾は整備されているが、海が荒れると寄港出来ない事が多々ある断崖絶壁の御蔵島。
黒潮に乗って運ばれてくる暖かい空気はお椀型の島にあたって雲になり沢山の雨が降る。海流は海の底から栄養を含んだ海水を押し上げ、島の周りは豊かな海になる。

水の循環にそって運ばれる恩恵を、島の樹木、イルカや海鳥そして人、すべての生命体が受けながら生活している。
凪ぎの海、午前6時に到着し長い坂道の上の集落へ。人口300人が一つの集落で暮らしている。手入れされた集落は丁寧な暮らしが見える。
「イルカが見える丘」がある。簡単に見れないと思いながら海を凝視していると肉眼で簡単に背びれが見えた。
漁師にお願いをして「イルカと一緒に泳ぐツアー」に予約を入れた。
手を伸ばせば届きそうな距離を子供と母親を中心に十数頭のイルカの群れが泳いでいる。いつからか住み着き何世代もこの島で生きるイルカの姿は、地球は人間だけの惑星でないことを教えてくれる。


2004 八丈島 東京都 Hachijyojima Tokyo

22時東京竹芝桟橋出港時は、冷たい風に吹かれたが底土港到着時には暖かい風にかわっていた。海岸線からゆっくりとした稜線を描き八丈富士まで亜熱帯植物が覆う八丈島。
江戸時代に罪人の流刑地だった島。大里の旧道には、流人たちが日々の糧を得るため、長い時間波に洗われ丸くなった石を運び積んだ玉石垣が家々を囲んでいる。
カタンカタンと綺麗なリズムが聞こえる。木製の織り機。島に自生する草木で染められた絹糸を手織りで格子柄に織り上げられている。丈は織物の長さ。一丈が約3メートル。黄色い絹糸で八丈に織り上げられた黄八丈。それが島の名前の由来になった。10代の頃から織っている方に、話しを聞かせてもらい、お茶をだしてもらい、さらに「食べたことある?」と、クサヤを頂いた。口に広がる猛烈な臭いと味に顔をしかめる。涙まで流す始末に「八丈島、嫌いにならないでね。」と言われる。クサヤは好きになれそうにないが、人との出会いで島の魅力は増していく。


2007 母島 東京都 Hahajima Tokyo

東京竹芝桟橋から父島まで25時間の船の旅。とにかく寝た。計算するところ20時間。体調万全。父島到着後大型フェリーから小型客船に乗り換え2時間で母島まで。
南崎遊歩道の森を歩くと、巨大に育ったシダ植物など、むせ返るような亜熱帯植物のジャングルを進む。足下にはカニが走り回っている。白砂の海岸に打ち寄せる波。原始の自然を満喫する。
集落に戻り大きなガジュマルの木の下で「観光か?何もない島でしょ。」と声をかけられ、頷くと「名物をごちそうしてあげる」と、海に面したコンクリート作りの強固な家に案内される。シロアリの被害が多く木造はもたないそうだ。「欲しいものに囲まれるより必要な物に囲まれていたい。」と整理された部屋。しばらくするとモツ煮込みのような「アオウミガメの煮込み」がでてきた。何とも言えない食感と血の味。古来よりタンパク質やビタミンをウミガメから得ていた。アラスカのイヌイットがアザラシを食べるのと同じだと。「ここまで来た甲斐があったでしょ。」と言われ、何もない島なんてないと心から思う。


2007 父島 東京都 Chichijima Tokyo

寒風吹きつける東京湾から1000キロ、大型客船で25時間。湿度の高い暖かな風が12月に咲き誇るハイビスカスを揺らす小笠原諸島父島。
島の生命線になるしっかりと整備された強固な二見港から村営バスで終点の小港海岸へ。タマナやハマギリの防風林を抜けると真っ白な砂浜のビーチ。そこから島の中央部にある中央山。三六〇度の視界が広がり水平線が見渡せる。頂上には高射砲の台座が残っている。小笠原諸島は第二次世界大戦時の最前線、航空基地があった硫黄島、船舶基地の父島。島のいたるところにはトーチカや砲台など戦跡があり、戦争の記憶を今につなぎとめている。
バケツをひっくり返したような大粒の激しい雨。大きく育った熱帯植物の葉の下で雨宿り。通りかかった軽トラックに乗せてもらう。20代後半に島の自然に魅せられ、移住し島のツアーガイドをしている。不便なことは多いがここでの暮らしは「楽園」だと。畑でとれたトマトを頂いた。農薬を使っていないので虫食いがあるが「虫も食わない野菜はうまいはずがない」と。確かにトマトは太陽の味がした。


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