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日本の離島 ISLAND


2003 奥尻島 北海道 Okushiri Hokkaido

日本の離島を巡る撮影旅行は、その島の持つ表情が現れる季節に出かけるようにしている。夏は南へ、冬は北へ。
冷たい風が吹く12月、フィルムと防寒着をカバンに詰め込み、北へ。
アイヌ語で「向こう」を意味するイクと「島」を意味するシリが語源の奥尻島。1993年の地震で起こった津波の被害にあった青苗地区は、古い建物がひとつもなく、整備された街並になっている。海岸沿いにある巨大な堤防が海と陸地を遮断している。
津波の被害から免れた高台の集落には、古い木造の家々や仮設住居のプレハブ小屋が住居として使用されている。
雪こそ降ってないが、寒さが身にしみる年の瀬に関わらず腕を出した袖無しの出で立ちで、大きな台車一杯に薪を運んでいる男性。台車を後ろから押している女性。お風呂の薪を運んでいる。夫婦かと思い声をかけると高校3年姉と中学3年の弟。まさかと思う出会いに驚いた。漁師の両親は海に出ているので幼い頃から家事を手伝っている。島への旅は想定外の出会いがある。


2009 天売島 島根県 北海道 Teuri Hokkaido

旭川からバスで羽幌まで。猛吹雪のなか荒れる海を車窓から眺めている。羽幌港からのフェリーは小型で、少しでも海が荒れると航路は閉じる。今まで2度欠航で渡れなかった。 思い悩んでも天候にはかなわないので宿の側の焼き鳥屋で
翌朝、快晴。船が出ると連絡を受ける。天売島まで1時間40分。
宿の主人に今年最初の客として大歓迎された。海鳥の島として有名なだけあって、案内された部屋は窓から鳥の群れ、そして海が見える嬉しい部屋。
徐々に雲行きは怪しくなり風と雪が強くなる。漁師が倉庫の整理をしている。以前、島民はアイヌ人だけだったがニシン漁で栄え秋田、山形から移住してきた人がほとんどで、島民いわく島の言葉は変な訛りがあるそうだ。ほとんどが漁師の島。タコ、ヒラメ、カレイ、ウニ、アワビと豊かな漁場なのだが、燃油代が高騰し、高齢化は進み後継者もいないと危機的な状況。漁師は「毎日旨い魚でうまい酒を飲んでいるんだから、いい気なもんだ。」と。
発達する低気圧とともに、ますます風と雪が強くなる。暫く船は欠航だろう。予定は未定の旅は悪くない。


2009 焼尻島 北海道 Yagishiri Hokkaido

悪天候の為、欠航していたフェリーが3日ぶりに入港。港には「こんなに住人がいたんだ」と思うほど多くの島民が、大量の宅配物と3日分の新聞や生活物資の運搬に忙しく動き回っている。その姿を横目に天売島から焼尻島へ。
ニシン漁で最盛期は3000人近かった島の人口は300人ほどに。
古い木造建築の家屋が並ぶ集落を歩くと次第に空き家が多くなる。いつかの繁栄が沈黙し、静かにたたずんでいる。
一年前に狭心症にかかりリハビリの為に散歩をする方に島のことを聞いた。患った病気で今は漁に出ないが、ニシン漁最盛期の海岸線はニシンの産卵の泡で囲まれ、大量のニシンで海の色が変わったと。なぜ、島に住み続けるのかと聞くと「旅行が好きで47都道府県をすべて巡った。暖かい土地も、ネオンが美しい都市にも行ったけど、季節の風、潮の流れ、漁場、先祖から受け継いだこと、捨てられないことがここにある」と。夕陽、穏やかな凪の海。息をのむ美しい光景。
それ以上は何も言わず海を見つめていた。


2003 礼文島 北海道 Rebun Hokkaido

稚内は深い雪に覆われていた。日本で最も北にある駅を横目に稚内港フェリーターミナルへ。降りしきる雪のなかを飛ぶカモメの群れ。思えば遠くに来たものだと、北海道にはじめて降り立った僕の旅情は盛り上がる。
大型フェリーの後方、2等席は6名ほどの乗客で、がらんと広い。フェリーは、ゆっくりと港を離れ2時間ほどの離島航路。窓からは波が見えたと思ったら次は空が見える。ひどい揺れのなか吐き気に耐え毛布に包まりながら、これからの旅を夢想した。
夏にはたくさんの野草や花が咲き、多くの観光客を迎える礼文島。だが横殴りの吹雪に白くたたずむ冬の島には人影はない。雪深い光景を見たことのない僕は、ただひたすら島内を歩き続けた。日も暮れたので漁師が営む宿へ。「この時期に一人で何しにきた」と言われる。宿の娘さんが夏に働きに出た沖縄県西表島で知り合い礼文島に「雪を見に来た」男の子が布団を運んでくれた。息子は高校3年生。卒業後は島で漁師になる。1年中豊かな漁場では冬場、タラを狙って漁に出る。食事は広間にポツンと一人で。今朝採れたタラの煮付けが絶品だった。


2005 礼文島 北海道 Rebun Hokkaido

島旅の一日のはじまり、日の出にあわせて行動を開始する。太陽がのぼる前の薄明かりの島の表情が好きだ。
凍りついた道に新雪が降り積もり歩くにはちょうどいい。除雪車が忙しく走り回り軒先では雪かきをしている。温度計は−5度を差しているが柔らかな朝日が、眠気も寒気も飛ばしてくれる。
宿を起点に1つ山を越えて元地漁港へ。トンネルを抜けると桃のカタチをした岩、その名も「桃岩」がドンとそびえている。漁港には木造の納屋。集落の家屋には海からの強風で雪が吹き集落は真っ白くなっている。この世の果てにきたような気がした。
除雪車が積み上げた雪のうえで遊ぶ子供たち。島民の移動手段は、おもに車。なかなか人と出会う機会がないのだが階段についた氷が割れないから手を貸してほしいと言われる。分厚く凍りついた、なかなか手強い氷と格闘する。これだけ凍ると階段も危険だ。作業が終わるころ、荷物になると思うけどと、一升瓶の日本酒をもらう。さすがにこれはと思ったが有り難く頂いた。


2005 利尻島 北海道 Rishiri Hokkaido

稚内から礼文島に渡り、そこからフェリーで40分の利尻島へ。
島の旅での移動の日は天気予報が気にかかる。低気圧がぶつかると海が荒れて欠航する。強い吹雪だがフェリーは港に姿をあらわした。
アイヌ語で「高い山のある島」という意味のイリシリ。標高1721mの利尻富士がそびえる。
日に数本のバスに乗り、適当に降車し後は宿に向けて島の一周道路をひたすら歩く。利尻島に到着してから、これでもかと雪が降り続いている。休憩はバス停小屋。お昼ご飯は新聞紙に包まれたお弁当。出かける前に宿の女将が持たせてくれた。ご飯のうえに海苔がのっただけだが、水分を含んだ海苔は佃煮のようだ。海の薫りが口に広がる。
雪道をただただ歩く。昆布漁師の納屋で休ませてもらう。昆布の苗を付けるロープの整理を手伝いながら暖をとる。昆布は1年寝かせて京都の漬物屋に卸すそうだ。雪がやみそうにないので宿まで送ってもらう。「暖かくなったら、また来いよ」と、嬉しいお誘い。が、しかし、まだまだ雪にうたれていたい魅力が冬の島にはある。


2003 利尻島 北海道 Rishiri Hokkaido

等しくすべてのものに雪が降り積る利尻島。最果ての雪にうたれていた。
年の瀬、神社は新年を迎える準備をしている。神社の鳥居の色が白。神主によると赤いと冬場、目立ちすぎるから白く塗ったと、嘘か本当かわからない答え。
集落には食料品、雑貨を積んだトラックの移動商店が開店していた。野菜が凍らないように暖房をきかせている。近隣の情報交換の場でもあり、お年寄りには有り難い存在になっている。
夕方、下校途中の女子高生に会った。短いスカートの下から素足。最北限の島にも情報は等しく届く。「この格好、いましかできないから」と微笑んだ。
7年後、再びの利尻島。あの女子高生に会えたら、と探してみることに。再会し写真を撮れたら、などと下心があったのだけれど見つけることはできなかった。感動的な再会は果たせなかったけど、いましかできないことの途上にいるのだから、確かめることはしなくていいんだと思った。
道を振り返る。雪道には僕の足跡。降り積もる雪に足跡は消えていく。


 

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