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日本の離島 ISLAND


2003 沖縄本島 沖縄県 Okinawa

2002年、東松照明さんの大規模な写真展が沖縄県の浦添美術館で行われた。戦後アメリカ統治下から近年までの沖縄を撮られた写真群。独自の文化が育まれ継承され戦争で起きた戦火をいまも内包し続けている。沖縄、そして日本という国を考える機会になった。それから一年後、日本の離島を巡る旅の途上の僕は、東京から電車を乗り継ぎ鹿児島からフェリーで夏の沖縄へ。南部、北部と広い沖縄本島を駆け巡る。那覇国際通りは原宿のよう。タコライス発祥の地、金武でスコールにあいゲートの看守室で雨宿り。24歳の看守は911テロをニューヨークで体験し海軍に入隊。沖縄からアフガニスタンへ行く予定になっている。テレビでのニュースは遠い話しではない。夕方渋滞の国道58号線。傘なんて意味のない土砂降りの雨。那覇港に沈む夕日。キラキラと美しい。夜は民謡酒場へ。三線の音色に島言葉の歌詞。言葉の意味はわからないが民謡の旋律と泡盛の酔いに思えば遠くに来たもんだと、旅情で胸がいっぱいになる。そこで働きながら唄の勉強をしている北海道出身の唄者に一目惚れ。「十九の春」を一緒に唄い、さらに胸を焦がした。南の熱は心地よく簡単には冷めそうにない。


2004 久米島 沖縄県 Kumejima Okinawa

沖縄本島から約100キロ。沖縄諸島の西の端に浮かぶ久米島。
島の近海に北上する黒潮海流が通り、水揚げされる車エビ、キハダマグロなど豊かな漁場が島の暮らしをささえている
島の平地にはサトウキビ畑が広がりその合間に集落が点在している。半農半漁が島民の生きる糧で自然の恵みと共に島の営みが続いている。
四方を珊瑚礁に囲まれたハテノ浜。何もない真っ白な砂浜と透き通る海は、太陽の光を受け桃源郷を思わせる。海の向こうに「もうひとつの世界」があるというニライカナイ信仰が目の前に広がる。
海岸線をあてどなく歩くと、大きな穴が掘られていた。そのそばでおじさんが、高校野球ラジオ放送を大音量で聞きながら寝転がっている。何の為の穴を掘っているのかたずねると「さぁね」と教えてもらえず謎は深まるばかり。


2004 石垣島 沖縄県 Ishigaki Okinawa

南の島を体感する出来事の1つに強烈な台風がある。
天気予報はズバリ直撃。どんよりと空が曇り強めの風が吹きだし街路樹のヤシの木は強風にあおられ、これでもかとしなっている。強風に雨が加わり歩行も困難に。荒れる海。飛行機、船は欠航。海に囲まれた島は孤立する。車の運転も風にハンドルを取られオッカナイ。なんとか宿に戻ると、民宿の主人は非常食と言って素麺と魚肉ソーセージ、泡盛を台所に置き「台風が過ぎたらまた来るね」と窓や扉は外側から釘で打ち、去った。
残された6人の宿泊者。夜になり、きしむ建物。風の轟音で大声でしか聞き取れない会話、そして停電。窓も開けられず、眠れず、スチームサウナ状態の真っ暗な部屋でうちわをあおぎながら黙々と泡盛を飲み続けた。
台風一過の翌日、外に出ると電線が切れていた。畑の土が道路を覆いサトウキビはなぎ倒されていた。空は雲ひとつなく強烈な日差しが降り注いでいる。台風は恵みにも脅威にもなるむき出し自然を体験させてくれる。


2004 西表島 沖縄県 Iriomote Okinawa

島の90%が熱帯植物ジャングルの西表島。巨大に育ったシダ植物をかき分け山道を進むと時間軸の境界線はぼんやりと輪郭を失い、地球とゆう惑星を体感できる。夜、満天の星空の下、宿の主人が八重山民謡の唄者で、泡盛片手に先代から継がれてきた唄を聴かせてくれた。泡盛は小さな島でも酒造があり、その酒以外、基本的に島人は呑まない。明日はグルクン(タカサゴ)を釣りに行くから一緒に行こうと握手をした。皮膚の感触はゴツゴツと硬いが、あたたかく優しい手だった。小さなボートは沖へ。釣りのポイントは季節、風向きで決まる。ここかな、と撒き餌をして釣り針をおろすと、面白いくらいによくかかった。海上で漂う船の揺れ、襲ってくる吐き気に耐えきれず飲み過ぎた昨晩の泡盛のせいか胃の中身を海へ吐き出した。宿の主人は「なんだよ、情けないな」と一瞥し黙々とグルクンを釣り上げる。帰り、島の上に大きな雲がかかっていた。宿に戻り、刺身、煮物に唐揚げと釣りたてのグルクンづくし。「旨い!!」とほおばる宿泊客を横目に「お前の撒き餌でたくさん釣れた」と主人は笑った。


2005 池間島 沖縄県 Ikemajima Okinawa

8つの有人島が点在する宮古諸島。中心をなす宮古島と巨大な橋で結ばれた池間島。海岸の岩礁で漁師が「タコ採りを教えてやるから」と声をかけてくれた。「ホラ!ソコソコ!!」と言われるが岩と区別がつかない。そうこうしている間に逃げられ「ダメだね本当に、見ときなさい」言ったそばから銛でひと突き。採れたてが一番美味しいと、獲物を岩でたたき海水で洗いナイフで切り分けてもらい頂く。モッチリとした弾力がたまらない。「この島では知恵があれば食っていける」と教えてくれた。
強い日差しを肌に焼き、深い皺だらけの漁師たちが、スーツを着て一軒の家に向かっている。タコ採り漁師もスーツに着替えていた。「米寿のお祝いがあるから、来なさい」と誘われるまま、米寿を迎えた女性に挨拶を交わした。「たくさん食べて、飲むのが祝いの印だから遠慮しないでね」と。奥の座敷でマグロとイカの紅白の刺身、天ぷらと豚の煮物、そして泡盛。家族のように迎えられた祝いの席は当然、夜遅くまで続いた。


2004 宮古島 沖縄県 Miyakojima Okinawa

日本の離島を巡る撮影旅行をはじめて、何度か訪れる島もある。北は利尻島、礼文島。南は宮古島。それぞれ4度になる。磁場に引き寄せられるように「足が向かう」島がある。
沖縄那覇港を午後19時。海に沈む太陽に向かってを出航するフェリーに乗り込みデッキでオリオンビールをいただく、至福の時間。
翌日、早朝に宮古島平良港に到着。隆起珊瑚でできた島の、いたる場所に神様が訪れるという御嶽がガジュマルの木に囲まれて鎮座している。平坦な島内にはサトウキビ、ピーナッツ、サツマイモなどの畑が広がる。炎天下のなかサングラスをかけ裸足で土を耕す方。13才の時にはじめて自分の小さな畑を持たせてもらい以来、70年、畑と一緒に暮らしてきた。今では大きなサトウキビ畑を息子に任せている。海ではモズクの養殖もしている。急にバケツをひっくり返したような通り雨に見舞われ、お宅にお邪魔した。「食べることは人が良くなるって書くでしょ。たくさん食べなさい。」と、どんぶりに山盛りのモズク。こういった出会いがまた、この島に訪れたくなる魅力のひとつだと思う。


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